ラジオなんかでジャズの曲がかかってると、「これ日本人かな?」って思うことが
よくあります。歌がなくても不思議に当たってしまうものですが、
どうしてなんでしょう?
「質が落ちる」という実も蓋も無い面もありますが、(やはり大リーグとセ・リーグ以上の
差があります)、それとはまた別に、「日本人らしさ(日本調)」というのが
なにかあるような気がします。
日本人にとってはジャズはやはり「異文化」のもの。たとえ小さい時からお父さんの
ジャズのレコード聴いて育ったというような恵まれた環境でも、ニューヨークで
生まれ育つのとはちょっと違う。
落語のCDをいくら持ってても、下町生まれの人とちょっと違うというのと似てます。
ただ、だから日本人がジャズをやるなんてナンセンスというのもこれまた短絡的。
(実際、そういうことをいう人も時々いますが)
アメリカ人が落語をやる、日本人がジャズをやるというのも、
それは「文化の衝突」という点では面白いんじゃないかと思います。
ジャズ自体がヨーロッパから来た白人と、アフリカから来た黒人の
音楽が衝突してできたものですし。
そして経験的には、
この「衝突」はかなり本気でやったほうがいいようです。
ジャズをやる日本人なら、一度は「アメリカ人(特に黒人)のように
演奏したい」と思うはず。なぜなら、連中の音楽を聞いて感じるものが
あったから、わざわざジャズなんか始めるわけですから。
しかし、これは簡単ではない、いくら真似ようとしても、「日本調」は
ぬけられないものです。でも、それが結局は
「その人らしさ」になるのかも
しれない。つまり「単なるものまねではない部分」として。
ここで先月書いた
「青い鳥の罠」を避けて、「自分は日本人だから、
日本人らしく日本調が一番」と開き直ってしまうと、「衝突」の面白さは
まったくなく、「単なる英語なまりの落語」みたいなさっぱり面白くない結果に
なりがちです。(かならずそうなるというわけではないでしょうが)
(続きは
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