Essay

日本人?の続き


さて、前項の話はやや尻切れとんぼでしたが、一応まとめると、
  • 異文化(ジャズその他なんでも)に取り組む日本人としては、 どうしても、本場(現地文化)の人と差を感じる場合がある。
  • しかし、最終的にはそれ(異文化との衝突)が自分の個性の 一部となるだろう
  • ただし、その道はショートカットするとうまくいかない。
    「どうしても違う」というところに達するには、「本場の人のように」 やろうと、一度は突き詰めてみる必要がある。
何人かの方からコメントをいただきました。

バレエ好きなMさん

英国ロイヤル・バレエで踊っている日本人プリマが、 「自分は日本人であり、踊っているとどうしても”ああ、わたしは日本人なんだなあ”と感じる」 というようなことを言っていましたが、英国での評価は、 「英国人よりも英国人らしく踊るプリマ」なのだそうです。
ちょっと面白いでしょ。

 うーん。イギリスがバレエの本場なのか知りませんが、 ヨーロッパでバレエやる日本人。やはり感じるんでしょうね。 「英国人より英国人らしく」というのが、異文化衝突の一つの パターンなんでしょう。つまり「濃すぎる」表現に走るということです。

 例えば.....
 ジョー・ザビヌルはウィーン生まれのヨーロッパ人ですが、 アメリカに出てきてキャノンボール・アダレイ(歴史上有名なアメリカの 黒人アルトサックス奏者)のバンドでやってた時はやはり、 「黒人より黒人らしい」という感じで演奏してました。
 その後、彼の個性を100%発揮した自分のバンド(ウェザーリポート) の音楽は「黒人らしい」という感じではありませんが、かといってウィーン生まれ ということから想像される、クラシックっぽいところもありません。 強いて言えば「アラブ系」を感じる部分がありましたが、あれも彼が 幼少時代親しんだ、ジプシー音楽と関係あるのかも知れません。 いずれにしても、「一度は本場の表現をつきつめてみる」というやり方 の典型だと思います。

古楽器奏者、アンサンブルリーダーのHさん

ついこの間ドイツのハンブルグに2週間いたのですが、そこで テリ・リン・キャリントン・グループのライブを聴きました。 ピアノがジェリ・アレンで、サックスがゲーリー・トーマスでした。 この3人が目当てだったのですが、そこにゲストで出演して いたNUGUEN LE というベトナム人のギタリストがあまりに凄すぎて、 黒人3人が、比較の問題で「チャンチャン」に聞こえてしまったのです。 (後略)

(山口注)
「この3人」は現役バリバリ活躍中のアメリカ黒人 ジャズミュージシャンです。

 Hさん自身も自分の専門分野(ヨーロッパ古楽)で日本人であることの 意義と疑問を追い求めていて、この(遠藤周作似の)東洋ギタリストを見て、 「ケトウと黒人に勝てる!」と思ったそうです。
 Hさんは、日本人としては非常に恵まれた音楽的環境で育った方ですが、 ヨーロッパで活動しているとやはり日本人ということを意識するのでしょうか。 彼の分析によれば、このベトナム人ギタリストはやはり自国の民族音楽のノリを 取り入れて、黒人3人組を蹴散らすほどスイングしてたそうです。 どうせ「異文化と衝突」するなら、ここまでいきたいよね。

 また、ちょっと別の例ですが、イチロー、松井を筆頭とする、大リーグに進出した 日本人選手にも同じような印象をうけます。 イチローの野球は「スケールの小さい大打者」という感じの、どちらかという と大リーグの中では「日本調」な野球に(私には)みえます。しかし、 そのスケールの小ささを活かして「大リーグで打率トップを争う」という偉大な業績、 (大げさでなく本当に偉大なことだと思う)業績を挙げていますね。
 その彼にしても、かなり長期間の筋力アップに励み、それがあるレベルに達したら 大リーグに行くと言っていたそうです。これも、「日本調」で開き直るのでは なく、衝突(この場合文化ギャップではなく、体格的な問題が大きいですが) を徹底して突き詰める事が不可欠だった例ではないでしょうか?

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