Essay

自分らしさってなに?


 みんな「自分らしく生きたい」って(時々は)思いますよね。
私ももちろんそう。「人間あんまり変わらない」って 書きましたが、小学高学年くらいからほんとにずっと変わらず 「自分らしく生きたい」ってことが強迫観念のように、 あたまにこびりついてました。(そのせいで随分、まわりの 人々と摩擦も起こしましたよ)

 しかし「自分らしく」ってのはいいことだけど、 これをあまり意識すると自分で自分を縛ってしまうことにも なります。 「そんなの俺じゃないよ」というのは、とても大事に していたことだけど、一面、なかなか破れない殻にも なってしまうというようなことです。

 こんな話を精神科医の旧友S氏にメールしたら、 以下のようなコメントをいただきました。

「自分らしい」というのを言葉で言う(定義する)のはとても大変ですが そうでなくなってる、というのを言うのはわりと簡単のようで、 それは健康の定義はむつかしいが病気のことは定義しやすいのに 似ていると思う。
「自分らしくなろう」というのは健康オタクみたいで 上手く行きにくいだろう。
山口君もまあ、軽々と生きているようでいて、 「白鳥は水面の下で必死に足を動かしている」 みたいなところがあるんですね。
こういう言葉はすごく似合わない印象ではありますが

うーん精神科医、なかなかいいこといいますねー。
そう、意識してもしなくても、普通は「その人らしく」しか できないんですよね。 それを変に意識すると私の場合でいえば、 「水面下で足を動かすくらいなら、溺れたほうがマシ」みたいな おかしなことになってしまいます。

音楽でも全く同じことで、「こんなことやったら、俺らしくない」 という意識はたいてい邪魔になるでしょう。何も意識しなければ、 だまっててもうんざりするほど「その人らしく」なってしまう ものです。(
前項でもも書いたとおり)

 とくにまずいのは「その人らしく」が外部から規定されてしまう 場合でしょう。これはむしろ有名なアーティストのはまりやすい罠です。 人間変わらない部分もあれば変わる部分もある。その「変わった」時に 「どうして以前のレコードのように演奏しないのか?」といわれてしまう のはちょっと困る。私も、いちリスナーとして音楽を聴く場合こういう勝手 な感想をいだくことがしばしばなんですが。
 アーティストはそんなこと気にせずやりたいようにやればいいとは 思うのですが、実際「売り上げが」とか「動員が」みたいな話になる と難しいんでしょう。結局「自分ブランド」にしがみついてしまう、 ということも多いようです。その正反対に同じようにやりたいのに 「リスナーに飽きられてしまうのではないか?」という理由で、 無理矢理やること変えるというのもなんかヘンですね。

この点、私のような無名の者は実に気楽なもんです。昨日と180°違う 音楽やっても誰も何の文句も言いません。 (その割にはいつも変わり映えのしない演奏してるねって。  うーむ。それをいわれるとつらい。)

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