Essay

ソニー・ロリンズを聴く(その2)


「ええっ、これって涙?!」

 何をそんなに驚いてるの?というなかれ。
個人的に私を知っている方ならどなたでもご存知のとおり、 私はきわめて涙もろくない体質で、どんなに感動しても、 感動の涙を流すということはまずありません。 (40年以上生きてきて、音楽を聴いて涙を流したのは、 たぶん2回目)
 それなのに何故、急に涙があふれてしまったのか?
 それは何十年にも渡って聴き続けてきたロリンズ当人が目の前で「フレーズ一閃」 その貴重な聴取体験をフラッシュバックさせてくれたから。
 ロリンズの演奏を聴いて誰もが感銘を受けるのは、 汲めども尽きぬ即興のメロディーが湧き上がってくる瞬間。 数多い彼の名盤はどれもそこが最大の魅力です。 そしてこの夜のコンサートでは「うわーロリンズ節!」と思ったと同時に、その魅力的な瞬間の数々が 一気に私のアタマの中に渦巻いてしまったのです。その時実際に鳴っている音の何倍もの音楽が 一気に!
 これは以前に書いた「コンテクスト依存」の究極かも知れません。それまでロリンズを 聴いて感動した体験がなければ、ここで涙を流すことはなかったでしょう。 しかし、そのコンテクストはすべて彼自身の数多い名作が元になっているところが 並大抵でなく素晴らしいところです。 それが巨匠の巨匠たるゆえん、 あるいは巨匠のカリスマ性の源泉といってよいでしょう。

 音楽を聴いているとき、無意識に過去の音楽体験を比較するということは珍しくありませんが (「...のCDの...と似ている」とか)、 フレーズの断片から、音楽体験の記憶を強烈に掘り返される 体験は初めてでした。

 しかし、マイルスを生で見たときも涙を流すということはなかったからなあ。 ほんとにビックリしました。

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