Essay

音そのもので勝負?(コンテクスト依存について)


 音楽はもともと、音を聴いて楽しむもの。しかし実際には音以外の 雑多な情報も一緒に入ってくるわけです。

典型的な例1:

M.ポリーニのCD上での演奏はあまりにも完璧である。 しかしそれは、偏執狂的に編集(録音したテープの切り貼りして修正)をした結果である。
 ポリーニは若いころから完璧なテクニックで有名だったピアニスト。ピアノをコントロールすると いうことにかけては、恐ろしいほどの腕前を見せます。CDにおける彼の演奏は驚異的な切れ味 ですが、本当にかなり編集しているようです。
 「いかに天才的なピアニストでも、やはり完璧な演奏はできないのか?」と安心するとか 「コンサートでもあれだけ完璧に弾けてるんだから、そんなにこだわることないのに」と呆れる とか人それぞれ思うところはあるでしょう。が、いずれにしても音楽以外の情報が 音楽の享受に微妙に影響します。(え、そんなこと何の関係もないって?)

典型的な例2:

キースジャレットのソロの即興演奏には実はかなり入念な楽譜に基づいている。
本当はそんなことは無いと思います。でも、もし本当だったら....? 即興、それとも毎晩おんなじ?というのは前にも「即興について-2」 で取り上げました。これも音楽の聴取に(もしかして)影響するかもしれません。

典型的な例3:

ともおバンドで一緒に演奏しているハーモニカ奏者松本敏明は実は世界チャンピオンだ
 これはホントにホントなんですが(あるハーモニカコンテストのジャズ部門で優勝したらしい)  本人はお客さんの前でこの話をされるのをひどく嫌います。そんなこと今日の演奏と何の 関係もないだろ、ってことなんでしょう。
 しかし逆説的には、それを知っているということが先入観として音楽の聴取に関係してしまうと 思うからこそ「そんな話しないでくれよ」と思うのかもしれません。

典型的な例4:

ジョージ大塚バンドを聴きながら、
いまやっている、この曲は "If I were a bell" という曲で、 ジャズではマイルスデイビスが1956年に「リラクシン」 というアルバムで演奏しているのが有名だ。 このバンドのアレンジは大筋そのレコードにもとづいている。
ま、ホントにこんなことを考えるお客さんがいつもいるわけではありませんが、 ジャズはプレイヤーもリスナーもマニアックな人が多いので、ついついこういう評論家っぽい 知識をためこんでしまい勝ちです。

 そういう「余計な情報」は先入観を植え付け、音楽を享受には妨げとなるという考えがあります。 そういう考えを代表するマイルスデイビスの有名な言葉に
"Music speaks itself"
というのがあります。つまり、「俺にインタビューするより、俺の音楽を聴けよ。」 ってことですね。うーんカッコイイ。
しかーーーし
「余計な情報」もやっぱり面白いと思います。
長くやっていると、どうしてもそういうものが蓄積してきて、 音楽を先入観なく聴くことが難しくなってくるけれど、先入観が あるコンテクストを形成して、全体としてよりリッチな享受ができるという プラスの面もあります。上の例4では、「このバンドはマイルスの演奏を踏まえて、 この"If I were a bell"という曲をどう料理するのか?」という「コンテクスト依存」な聴き方も悪くないと思います。 10代の頃は、「コンテクスト依存なんて真っ平、その場でいきなり聞いてよい音が最高」と 思ってたんですが、年とともに考えが変わってきた部分です。
 それ(知識、経験を踏まえた聴き方)が評論家的でいやみな聴き方なのか、より深い理解をもたらす聴き方なのかは 簡単に結論できないでしょう。

みなさんはどうお考えですか?

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