Essay

マイルス・デイビス
<ノスタルジーを拒否する音楽>


それなりに長く生きていると(というとまるで老人のようですが)、 「懐かしい音」というのが、どうしても溜まってきます。

中学生時代になけなしの小遣いをはたいてかったLP盤。
図書館で借りたレコードをいれたカセットテープ。
何10回も聴いて研究したレコード。
そういう音たちを今聞くと、それが呼び水となってその頃の記憶があふれだし、 どうしても「懐かしモード」にはいってしまいます。
それは、長く音楽と親しんできた「余禄」のようなもので、よいことなのですが、 しかし少数ながら、そういう「懐かしモード」を拒否する音楽というのがあります。

私にとってその代表がマイルス・デイビスの音楽です。
彼の音楽はたとえ50年前の演奏であっても、(そしてそのCDを100回聞いた後でも)鋭いナイフを突きつけらるような緊張感を失いません。
「1950年代のマイルスの音楽を今聴いても、新鮮さは変わらない。」
このことは同時代の他のミュージシャンの作品と比較するとよくわかります。 この時代はジャズ史の中では「ハード・バップ期」と言われていて、 重要な作品が多数リリースされた時代です。
 この時期の名作は今聴きなおすと、「モダンジャズの全盛期」という時代背景を 強く感じ、それはそれで素晴らしいのですが、マイルスの音楽の聴こえ方は 全く違います。彼も当時は「時代のメインストリーム」だったはずですが、 今聴くと、不思議なことに、当時のジャズミュージシャン達とまったく違う 独自の視点で音楽をとらえていたように感じられます。 だからこそ時代をこえて「今の音」として聞こえるのでしょう。

それ以後の1960−70年代の彼の作品も同様で録音は古くても、 「とれたて」のような新鮮さは変わりません。 私がジャズを聞き始めた1974年ころ、(中学2年生くらい)好きなミュージシャンの多くは 「マイルス・スクール出身者」(マイルスのバンドに在籍していた人でした。 たとえばビル・エヴァンズ、チック・コリア、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーターといった人々 ですが、彼らの作品も全部ではないですが、一部はやはりノスタルジーを越えた新鮮さを今でも保っています。
自分自身だけでなく、周りのミュージシャンに対する影響も含めて、 本当に「スゴイ奴」です。

ひるがえって、今の私がやっている音楽(ジャズ)の状況をみると、 まったく逆に「今、演奏しているのにずっと昔に作られた音楽を やっているように聞こえる」というということがあります。
ジャズも歴史を積み重ねてしだいに伝統芸能的になってきたということ なのでしょうか。

「昔の金字塔(1950−60年代のジャズ)のレプリカではなく、 なけなしでもいいから、今の自分の音を出せ」
(マイルスのように「後で聴いてもいつも「現在の音」になる」は無理としても)

自分にはいつもこう言い聞かせているのですが....

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